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東京都練馬区の歴史
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所在地 練馬区練馬4-27 (田島山十一ヶ寺迎接院墓地

東京都指定有形文化財
     昭和4年(1992)5月指定
練馬区登録有形文化財
     平成元年(1989)3月登録
 小野蘭山墓

 江戸時代中期の本草学者。本姓は佐伯氏、名は職博、字は以文、通称は喜内、号を蘭山または朽匏子という。享保14年(1729)京都に生まれた。延享元年(1744)松岡恕庵について本草学を学んだ。本草学は、中国で発達し、日本では江戸時代に最も盛んになった学問である。薬草をはじめとする薬物研究にとどまらず博物学の色彩が濃い。25歳のとき京都丸太町近くに学塾衆芳軒を開き本草学を講じた。寛政11年(1799)71歳のとき江戸に移り、幕府の医学館で本草学を講じた。また、幕命により享和元年(1801)から文化2年(1805)にかけて採薬のため諸国を巡り、それらの結果を採薬記に纏めている。享和3年(1803)に上梓された『本草綱目啓蒙』は、日本における最大の本草文献であり、後の博物学の発達にも大きな影響を与えた。また方言資料としても貴重である。文化7年(1810)正月27日82歳で没した。墓所は浅草誓願寺の塔頭迎接院にあったが、震災後の区画整理により改葬され現在地に移転した。
 平成21年(2009)3月 練馬区教育委員会



 小野家累代のお墓は 蘭山墓を残して 諸霊は浄土宗田島山誓願寺塔頭 迎接院の納骨堂へ合祀いたしました
 小野蘭山は 享保14年(1729)8月 京都に生まれ松岡恕庵に師事し本草学を修めました
宝暦3年(1753) 25歳の時私塾衆芳軒を開き 以後46年間本草を考究し 多くの医者や本草家を輩出しました

 寛政11年(1799)3月幕命に依り 71歳にして江戸に下り 神田佐久町の幕府医学館に於いて 本草学の講義を行い また数次に亘る採薬を行いました
 そして 享和3年(1803)には「本草綱目啓蒙ほんぞうこうもくけいもう」48巻の初版本を刊行致しました
その後は蘭山の孫職孝もとたか(蕙畝けいほ) その子職實もとみち(二代蕙畝けいほ) 及び職實の子 職愨もとよし(薫山くんざん)の3人の後継者を得て家学を究め我国の自然科学の礎となりました

小野蘭山は 文化7年(1810)正月 病を得て幕府医学館の官舎で82年の生涯を閉じました
 
 茲に 墓石を記念碑として保存すると共にその業績を永く顕彰致します

 平成18年(2006)3月 
 浄土宗 迎接院第十八世住職 藤木雅雄
       小野家第八代 小野強 
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