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東京都練馬区の歴史
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所在地 練馬区氷川台1-7 (城北中央公園)

 栗原遺跡の竪穴住居跡
 栗原遺跡は、昭和30年(1955)に立教学院総合運動場造成の際、発掘調査された遺跡で、このあたりの旧小字名「栗原」を遺跡名としたものです。
 昭和30年(1955)から昭和31年(1956)にかけての調査では、赤土(関東ローム層)の中から、黒曜石製の打製石器が出土し、今から1万年以上前の旧石器時代から、この地で人々が生活していたことがわかりました。また、縄文土器が出土すると共に、弥生~平安時代の竪穴住居跡が発見されています。このあたりは、石神井川と田柄川に挟まれた台地であり、日当たりもよく、生活に欠かせない水の得やすい土地であったため、長い間、人々が生活してたことが偲ばれます。
 復元された住居跡は、八世紀初め頃(奈良時代初め)のもので、昭和32年(1957)東京大学教授、藤島亥治郎博士の設計により建てられたものです。発掘された竪穴住居跡は、地表から約50センチメートルの深さに掘られ、北側に粘土のかまどが築かれていました。柱穴は4箇所あり、復元の際には、径約21センチメートルのケヤキ丸太を主柱にし、梁・桁にスギ丸太を用い、カヤを葺いて復元しています。
 この復元住居跡は、奈良の都の華やかさにくらべ、当時の地方農民の暮しぶりがどんなものであったかを語りかけてくれます。
 現在は、東京都が用地と復元した竪穴住居を管理しています。
 平成22年(2010)3月 練馬区教育委員会













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