東京都練馬区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 練馬区豊玉南2-15-5 氷川神社は旧中新井村(現在の豊玉地区)の鎮守で、祭神は素盞鳴命です。境内末社に北野・須賀・稲荷・三峯の各社があります。 社伝によると、主神は北野神社が最も古く、次いで須賀神社、その後、大宮一宮の分霊を勧請して氷川神社を主神にしたといいます。すでに江戸時代の『新編武蔵風土記稿』には、「氷川社」の記載があります。 境内南西側の旧神楽殿は、元氷川神社の拝殿で、文化8年(1811)の棟札があります。この建物は釘を一切使わない、組込式の建築技法を用いています。 古い土地の人は、須賀神社を「天王さま」と呼びます。天王様の祭礼は、昔は旧暦6月15日でしたが、この祭には文化10年(1813)作と伝える神輿の渡御があります。田んぼの中を暴れ廻るというので「中新井天王さまの暴れ神輿」と近郷・近在で有名でした。今も9月の祭礼には変わらぬ姿で、往時を偲ばせます。 昭和59年(1984)3月 練馬区教育委員会 須賀神社 境内には『力石』、『ビール麦・金子ゴールデン発祥の地碑』、『神輿』があります。 神楽殿 PR 所在地 練馬区豊玉南2-15-5 (氷川神社) ビール麦・金子ゴールデン発祥の地碑 ビール麦「金子ゴールデン」は明治33年(1900)、篤農家金子丑五郎によって東京市北豊島郡中新井村の当地で育成されました。翁は、江戸末期の文久元年(1861)10月20日に生れ、優れた先見性と旺盛な研究心、地道な努力を積み重ね、米麦をはじめ野菜の品種改良にも情熱を傾け、近郷農家の経営安定に大きく貢献しました。特に国産ビールの需要拡大を予見し、輸入品種と国産種の自然荒廃から「金子ゴールデン」を選抜・育成しました。つくりやすい性質から当地では「矢羽」の愛称で、昭和25年(1950)頃まで盛んに生産されていました。翁が改良した種子は、貴重な遺伝資源として「独立行政法人 農業生物資源研究所ジーンバンク」に永久保存されています。 練馬区豊玉が生んだ翁の功績を地域文化として伝承し、都市農業の振興のため、平成15年(2003)翁を慕う農民等が相集い、栽培の復活に取り組みました。努力の甲斐あって、多くの人々が喜びを共有して国産ビール黎明期の味を楽しんだことを、翁の功績と共に後世に伝えるため、碑を建立します。 平成18年(2006)10月吉日 金子ゴールデン記念碑建立実行委員会 ビール麦の金子ゴールデン わが国のビール麦栽培は外国から導入された品種によって始められました。 最初に導入されたのは江戸時代末期といわれていますが、本格的に導入されたのは明治に入ってからで、政府が勧業の一策として諸外国から穀類の種子を導入し、試作を進めました。 当時、輸入された中には大麦も多く、明治20年(1887)にはゴールデンメロン(米国)の名が記録されています。 北豊島郡中新井村(現在の練馬区豊玉)の金子丑五郎が明治33年(1900)、六条大麦の四国とゴールデンメロンの自然交雑によって生じた雑種の中から「金子ゴールデン」を育成しました。 早生で草丈が低いため成熟しても倒れにくく、一時、関東一円に栽培が広がりました。この品種を親にエビス1号、ニューゴールデン、アズマゴールデン、ふじ二条等の優良品種が育成され、初期のわが国のビール醸造に大きく貢献しました。 平成9年度JA東京グループ 農業共同組合法施行50周年記念事業 東京あおば農業協同組合 THE AGRICULTURE OF EDO &TOKYO Malt barley,Kaneko Golden Cultivation of malt barley in Japan started with varieties introduced from foreign countries.The active introduction was made since 1868 associated with the government policies of industry promotion in which various seeds of cereals were importanted and tested for use. In 1900,Ushigoro Kneko of Toyotama,Nerima ward bred Kneko Golden from the natural hybrids between six-rowed barley Shikoku and Golden Melon.It was a superior type of early ripening,short stem and hardy to toppling at the stage of maturity.Its cultivation at one time extended throughout Tokyo district and contributed greatly toward the beer brewery in Japan. 所在地 練馬区豊玉南2-15-5 (氷川神社) 練馬区登録文化財 氷川神社の神輿 平成19年(2007)登録 氷川神社境内社の須賀神社に伝わる神輿です。修理・後補がなされているため、制作年代は不明ですが、飾り収納箱の蓋の裏側に「文化10年(1813)葵酉六月吉日、中荒井村惣村中」の墨書があり、江戸時代までさかのぼる可能性があります。総高は176cm、轅を除く最大幅は119cmで方形造りです。 現在は、祭礼の際に拝殿内に置かれるのみですが、昭和30年代までは担がれていました。 平成9年度 練馬区登録文化財 所在地 練馬区豊玉南2-15-5 (氷川神社) 練馬区有形民俗文化財 氷川神社の力石 ここに並ぶ8個の楕円形をした自然意思は、江戸時代後期から明治時代にかけて、関東地方で盛んにおこなわれた若者の「力だめし」に使われた力石です。 力石には重量や村名などが刻まれ、特に五十五メ(貫)と刻まれた力石は、区内でも多き部類のものです。 平成5年(1993)3月 練馬区教育委員会 |
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