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東京都練馬区の歴史
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所在地 練馬区練馬4-25-1 (田島山十一ヶ寺九品院

  延命蕎麦喰地蔵尊
 九品院に安置してある、将軍延命厄難滅除蕎麦喰地蔵尊は、後陽成天皇の代、文禄元年(1592)徳川家康、江戸城に拠り江戸市街の経営を着々と進めるに当り、庶民教化を第一として、行徳兼備の高僧を遍くもとめた。そして相模国小田原誓願寺の開山東誉齢祖上人、徳望高く庶人帰依する者多しと聞いて上人を招請する為に、大久保石見守を使者に差し向けた。大久保石見守はその途中小田原の某所を通過の節、地中から現われた地蔵尊を拝したので、東誉上人に面謁した後この事を告げた。上人も「之れまことに、奇瑞なり」と、其の開眼供養を施し、誓願寺境内に安置せられた。
 慶長元年(1596)関ヶ原の合戦の4年程前、誓願寺は小田原より江戸神田豊島町、今の須田町あたりに移され、石見守と縁故浅からぬ、塔中西慶院開基善誉俊也和尚が地蔵尊の別当(本官ある人の別に他の職に当るを云う)になった。それから帰依する者がふえ、武家の信仰も深く、よって将軍地蔵とも称せられた。
 其の後明暦3年(1657)正月18日振袖火事で知られる江戸の大火で市中の大半は焦土と化し、誓願寺は本寺末寺挙げて浅草田島町に移転した。浅草広小路尾張屋の話はこの時代のことで、天保年間(1830~1843)悪疫流行の時には門前市をなす程の盛況だったと云う。
 後の「おはなし」も一般に伝わり誰言うとなく、願をかける時或は願成就の折には、御礼として蕎麦を供養せよ、とこれに依って蕎麦喰地蔵尊の名が起り、江戸六地蔵の随一として著名になった。時代が推移し、明治の末年西慶院は隣寺九品院に合併され、大正12年(1923)9月1日の関東大震災にまた災上した。そして昭和4年(1929)、現在の練馬区練馬4丁目に移った。地蔵尊の堂宇は、大方有縁の信徒の浄財寄附を以て再建し、講中地蔵講を結んで維持し、永遠に茲に安置することとなった。



  おはなし
 「あゝ、美味しかった。御馳走さま
 お坊さんは何度も丁寧に礼を言うと、暖簾をくぐって出て行った。いや、いや・・・、こんなに夜遅くおしのびでお出なさるとは、よほど蕎麦の好きなお方と見えるわい。元々信心深い尾張屋の主人のことゆえ、お坊さんの所望に毎夜快くもてなしていた。だが待てよ・・・、闇の中に去って行くその後姿を見送りながら、もう一月になるかな、毎晩きまって四ッの鐘が鳴ると、それにしてもあの奥床しい容貌と言い、おだあかな物腰と言い、唯の方ではあるまい。一体何処の方であろうか。一つ明日聞いてみよう。
 翌日、主人はお坊さんにおずおずと尋ねてみた。
「不躾ながら、貴方様はどこのお寺でいらっしゃいますか」
 お坊さんはその問いを聞くと、はたと困ったような表情を浮かべ、只恥かしそうに顔を紅らめ答えようとはしない。主人の重ねての質問にやっと、
「田島町の寺・・・」
 と小声で言うと、あとそれ以上聞いて呉れるな、と言うような眼差しを遺して逃げるように立ち去った。どうも腑に落ちない。さては蕎麦好きの狐か狸が化けているのではないだろうか。よーし、今度きたら正体をつき止めてやろう、と店の者がいきまくのを主人は押えておいた。
 明くる日またお坊さんは、何事も無かったように蕎麦を食べ終えると、礼を述べて帰った。覚悟を決めた主人は、こっそりその跡をつけて行く。知ってか知らずか、お坊さんは深閑と静まりかえった夜道をゆっくり、ゆっくり歩いていった。袈裟衣の黒い影は、誓願寺の山門をくぐり、西慶院の境内に入って行く。あゝ、申し訳ない、矢張り本当のお坊さんだったのだ。何という申し訳ない事を、と山門の陰で両手を合わせてお坊さんの後姿を拝んでいた主人は、その時ハッと息をのんだ。お坊さんの姿が、地蔵堂の中にすうっと消えてしまったのだ。そして、御像にほのかな後光が射しているかに見えた。主人はへたへたとその場に坐り込み、暫くは茫然と御堂をみつめた儘であった。何処をどう走ったかもわからない。やっと家に辿りついた主人は、店の者がうるさく聞く声に耳のかさず「申し訳ない、勿体ない、お許し下さい・・・」と繰り返えすのみ。
 その夜、まだ興奮もさめぬまゝにうとうととまどろんでいると、枕元に厳かなお告げが聞えた。「われは西慶院地蔵である。日頃、汝から蕎麦の供養を受けまことに忝けない。その報いには、一家の諸難を退散し、特に悪疫から守って遣わそう」それ以来、主人は毎日西慶院の地蔵様に蕎麦を供え、祈願するのを怠らなかった。ある年、江戸に悪疫が流行して、死人が続出し野辺送りの列が絶えなかった。人々の哀しみをよそに、尾張屋一家はみな無事息災であった。
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