東京都練馬区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 練馬区北町1-25先 下練馬の大山道道標(平成5年〔1993〕度・練馬区指定文化財) 旧川越街道と富士大山道の分岐点に宝暦3年(1753)8月、下練馬村講中によって建てられた道標です。上部の不動明王像は後に制作されたものです。 江戸時代に盛んであった富士・大山信仰に関する資料として貴重なものです。 平成20年(2006)6月 練馬区教育委員会 東高野山道標 「左東高野山道」と刻まれた角柱は、高野台3丁目の長命寺への道しるべです。長命寺派紀伊の高野山を模して伽藍を整え、山号を東高野山と称しています。 この二つの道標は、環状8号線の工事により元の位置から8メートルほど西側に移動し、現在の場所に設置されたものです。 移転前は、相模の大山への道しるべとして、また東高野山への道しるべとして江戸方面から来る人々のため、東南東の向きに置かれていました。現在は見学しやすいよう向きを変えています。 平成20年(2008)6月 練馬区教育委員会 PR |
町名
サイト内検索
アクセス解析
プロフィール
HN:
永山
性別:
男性
|