東京都練馬区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 練馬区錦 下練馬道 この道は、旧下練馬村の今神・本村・重現・早淵など、村のほぼ中央を北東から南西へ走る幹線道の一つでした。 旧川越街道を板橋区上板橋1丁目(旧上板橋村字七軒家)付近でわかれ、練馬区に入ります。錦の金乗院を迂回して、須賀神社から開進第一小学校の南側を通り、中之橋で石神井川を渡ります。そこからはさらに練馬城址の東側(豊島園駅西側)を通って清戸道と交叉し、中村の良弁塚前から鷺宮福蔵院方面へも通じています。 下練馬村には北端を川越街道が、南端中新井村との境を清戸道が通り、両道を大きく結ぶ位置に富士大山道があります。富士大山道は名前の示す通り、主に信仰の道でした。 それに対し、この下練馬道は村の中心から近郷の村々へ通じる弁リア生活の道でした。 昭和60年(1985)3月 練馬区教育委員会 PR ![]() ![]() |
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永山
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男性
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