東京都練馬区の歴史
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 所在地 練馬区練馬4 田島山十一ヶ寺 十一ヶ寺とは、仁寿院、迎接院、本性院、得生院、九品院、林宗院、称名院 、受用院、假宿院(仮宿院)、宗周院、快楽院の十一寺院の俗称で、もとは誓願寺(浄土宗、現在は府中市の多磨霊園正門近くにある)の塔頭寺院でした。 誓願寺は江戸時代初めに小田原から江戸神田に移り、さらに明暦3年(1657)の振袖火事後、浅草田島町に移転しました。この頃は幕府から朱印三百石を与えられ、檀家には豪商も多く十六院もの塔頭寺院を持つ大きな寺でした。明治以降、各塔頭寺院は本坊の誓願寺から独立し、大正12年(1923)の関東大震災後に十一の塔頭寺院がここに移転しました。 墓地には、本草学者として名高い小野蘭山や、書道家として篆刻の名人として有名な池永道雲の墓をはじめ、札差として権勢を誇った青地善春一族あるいは名優のきこえ高い初代沢村宗十郎らの名墓があります。 平成9年(1997)3月 練馬区教育委員会 仁寿院 仁寿院墓地内には『千葉周作墓』があります。 迎接院 迎接院墓地内には『小野蘭山墓』があります。 本性院 得生院 九品院 九品院境内には『蕎麦喰地蔵』があります。 快楽院 宗周院 仮宿院 受用院 受用院墓地内には『池永道雲墓』、『澤村宗十郎(初代)墓』、『澤村宗十郎(3代)墓(沢村田之助)』、『澤村宗十郎(5代)墓』、『澤村宗十郎(7代)墓』、『澤村宗十郎(8代)墓』があります。 称名院 林宗院 林宗院墓地内には『岡部覚弥墓』、『土屋安親墓』、『岸本由豆流墓』があります。 PR |
町名
サイト内検索
アクセス解析
プロフィール
HN:
永山
性別:
男性
|