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東京都練馬区の歴史
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所在地 練馬区中村3-11

  石幢七面六観音勢至道しるべ(良辨塚・良弁塚)

 良辨塚は、南北朝時代の僧侶で、ここから五百メートルほど東にある南蔵院の中興第一世です。良辨は、日本各地の霊場を巡拝し、数百部にのぼる法華経(妙法蓮華経)を書き写して奉納して廻りましたが、最後にたどり着いたこの中村の南蔵院に滞留し、周辺の人々を教化したと伝えられています。
 この塚は、碑文によると延文2年(1357)3月21日に建立されています。南蔵院は真言宗の寺院ですので、開祖である弘法大師(空海)が高野山で入定した承和2年(835)3月21日の月日に合わせて建てられたと考えられます。建立時に経筒(直径3センチ、高さ10センチで銅製の筒)が埋納され、江戸時代に塚を改修した後は南蔵院に保管されています。建立当時この場所は、鎌倉街道の1つに面しており、街道から南蔵院に入る角に経塚を築いて供養し、人々の幸せを願ったのでしょう。



 なお、『新編武蔵風土記稿』に良辨僧都を永正年間の人と記しているのは誤りです。また奈良時代に東大寺の大仏造立に尽力した別当良辨僧正とは別人です。
 敷地内にある庚申塔や道標などの石造物は、後にこの地に移されたものと考えられます。
 平成23年(2011)3月 練馬区教育委員会

 
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所在地 練馬区中村1-15-1

真言宗豊山派
 瑠璃光山 南蔵院 医王寺

本尊 薬師如来



 南蔵院の西北約500メートルにある良弁塚の石碑の文によれば、延文2年(1357)に良弁僧都が中興したと伝えられています。
 良弁については詳しくは分かっていませんが、全国を行脚し、各地の寺にお経を奉納した後、当地に永住したといわれています。
 境内には、古い建物や石造物などが多くあり、良弁塚から出土した経筒は寺宝として保存されています。また、府内八十八か所巡りの第十五番札所となっており、当院の格式が示されます。
 明治9年(1876)11月に本堂を使って豊玉小学校が設置され、この場所で小学校の教育が行われました。



 なお、次の練馬区指定文化財が所在しています。
 練馬区指定有形文化財
  鐘楼門 一棟 
  江戸時代中期の建築と考えられる区内唯一の鐘楼門

 平成元年(1989)3月 練馬区教育委員会


 
 境内には『鐘楼門』があります。


所在地 練馬区中村1-15-1 (南蔵院)

練馬区指定有形文化財
 鐘楼門



 江戸時代中期に建てられた区内唯一の鐘楼門で、正徳5年(1715)銘の梵鐘が吊られていました。当時の建築様式を伝えるものとして貴重です。
 練馬区教育委員会



 


所在地 練馬区中村3-8

 中村の御岳神社は、幕末期に谷原村の増島大傳によって創建されたと伝えられます。大傳は、行者一山の門人としてすでに谷原村に一山講社を結び、御岳神社(富士見台3丁目稲荷神社)を興し、近隣への布教にも励んでいました。中村では字中内を中心に御岳山一山信衍講が結ばれ大傳を開山として、二代先達内田清心(初太郎)三代先達神田明照(市五郎)と続き現在に至り、奉齋神は天御中主神・高皇産神・神皇産神・天神地祇・国常立尊・大巳貴命・少彦名命です。
 現在の社殿は昭和52年(1977)に新築されました。本殿西側には稲荷社があり、初代大傳はこの祠で祈祷を行っていたといわれています。
 その他境内には御岳山一山講社の講祖一山霊神をはじめ当社先達たちの慰霊碑があります。また明治初年(1868)以降の古文書や絵馬が多数保存されています。
 昭和62年(1987)3月 練馬区教育委員会

 


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