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東京都練馬区の歴史
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所在地 練馬区氷川台4-47-3

 氷川神社は、須佐之男命を祭神とする旧下練馬村の鎮守社です。
 社伝によれば、もとは石神井川近くの泉がわき出ていた「お浜井戸」のところにあったといわれ、長禄元年(1457)に渋川氏が足利氏との戦いに行く途中、武運長久を祈って立てたと伝えられています。この故事により、今では3年に1度となりましたが、かつては毎年4月9日の春祭の日に、神輿を「お浜井戸」まで、「お里帰り」する渡御行列が行われました。行列は、風祭、柄本、奥津、篠の四家が参列し、総代が先導となり、神職、幟、太鼓などと続き、お供の人々は、扇子を口にあて道中歌を歌いました。井戸に神輿が着き奉安すると、その前で「鶴の舞」が氏子二人によって演じられました。また、かつては、この日の晩に拝殿で古式を伝える「田遊び」が行われていました。



 なお、次の練馬区登録文化財が所在しています。
 練馬区登録有形文化財
  氷川神社の狛犬 一対 (拝殿前のもの)
   天明7年(1787)銘がある区内最古のもの
  角柱型水盤 一基 (稲荷社前のもの)
   延享4年(1747)銘がある区内唯一の角柱型水盤
 平成元年(1989)3月 練馬区教育委員会



 境内には『狛犬』、『角柱型水盤』があります。

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所在地 練馬区氷川台4-47-3 (氷川神社)

練馬区登録有形文化財
 角柱型水盤 一基
 

 延享4年(1747)銘がある区内唯一の角柱型水盤

 


所在地 練馬区氷川台4-47-3 (氷川神社)

練馬区登録有形文化財
 氷川神社の狛犬(一対)
     平成元年(1989)3月1日登録

登録第二十二号  登録書
天明7年(1787)銘
石造 獅子型阿吽形対


所在地 練馬区氷川台3-24-4

真言宗豊山派 
 大明山 無量院 光伝寺

豊島八十八ヶ所第十番札所

本尊 不動明王



 寺伝によると、寛文5年(1665)に第一世権大僧都安慶が没しているところから、それ以前の創建と思われます。
 第八世の教海は、正久保橋(氷川台駅東南・旧称 弥右衛兵門橋)が腐りやすい木橋であったため、天明3年(1783)、私財を投じて江戸の石工、六兵衛と八兵衛を呼び、石橋に造り替えさせました。この橋の親柱が境内に保存され、今も教海の功績を伝えています。
 開進第二小学校の前身、松山学校を開いた松山為次郎(明治29年〔1896〕没)の墓があります。
 所蔵している仏像の中には、鎌倉時代の懸仏の特色を備えた「十一面観音懸仏」、正徳4年(1714)、正徳5年(1715)ころに制作された「地蔵菩薩立像および閻魔十王像」、江戸時代に制作された「下練馬の三十三所観音菩薩像」などがあります。本堂の前には樹齢数百年、釣鐘状の樹形も見事な区内最大のコウヤマキが生育しています。
 ・練馬区登録天然記念物
  「光伝寺のコウヤマキ」 平成11年(1999)1月登録
 ・練馬区登録有形文化財
  「十一面観音懸仏
  「光伝寺の地蔵菩薩立像及び閻魔十王像」
  「下練馬の三十三所観音菩薩像」 平成20年(2008)1月登録
 平成20年(2008)3月 練馬区教育委員会



 境内には『コウヤマキ』、『大乗妙典供養塔・庚申塔・地蔵菩薩像』、『閻魔堂』、『十一面観音懸仏』があります。


                               六地蔵


所在地 練馬区氷川台3-24-4 (光伝寺)

コウヤマキとしては区内で最も大きく、樹形も美しく風格があることから指定されました。
 樹の高さ 14m   幹の周囲の長さ 2.4m

 


所在地 練馬区氷川台3-24-4 (光伝寺)

 大乗妙典供養塔(宝暦6年〔1756〕建立)
 庚申塔(宝永2年〔1705〕建立)
 地蔵菩薩像(正徳3年〔1713〕建立)

 この三体の石仏は、建立当時より白子道と、それに交叉する現在の北町に通じる村道の四ッ辻に安置されていた。昭和14年(1939)の区画整理により氷川台4-46-6、市川乃夫男氏宅地に編入された。多くの石仏が消えていくなかで、今日まで大切に守られて来たのは、付近の方々の信仰のおかげであった。しかし、地域の開発が進み、ここに講中が話し合い、光傳寺に移転、新たに供養を行い、その由来をしるす。
 平成5年(1930)3月吉日 旧北三軒有志一同


所在地 練馬区氷川台・羽沢・板橋区

 東京都立 城北中央公園



 城北中央公園には『栗原遺跡の竪穴住居跡』があります。


所在地 練馬区氷川台1-7 (城北中央公園)

 栗原遺跡の竪穴住居跡
 栗原遺跡は、昭和30年(1955)に立教学院総合運動場造成の際、発掘調査された遺跡で、このあたりの旧小字名「栗原」を遺跡名としたものです。
 昭和30年(1955)から昭和31年(1956)にかけての調査では、赤土(関東ローム層)の中から、黒曜石製の打製石器が出土し、今から1万年以上前の旧石器時代から、この地で人々が生活していたことがわかりました。また、縄文土器が出土すると共に、弥生~平安時代の竪穴住居跡が発見されています。このあたりは、石神井川と田柄川に挟まれた台地であり、日当たりもよく、生活に欠かせない水の得やすい土地であったため、長い間、人々が生活してたことが偲ばれます。
 復元された住居跡は、八世紀初め頃(奈良時代初め)のもので、昭和32年(1957)東京大学教授、藤島亥治郎博士の設計により建てられたものです。発掘された竪穴住居跡は、地表から約50センチメートルの深さに掘られ、北側に粘土のかまどが築かれていました。柱穴は4箇所あり、復元の際には、径約21センチメートルのケヤキ丸太を主柱にし、梁・桁にスギ丸太を用い、カヤを葺いて復元しています。
 この復元住居跡は、奈良の都の華やかさにくらべ、当時の地方農民の暮しぶりがどんなものであったかを語りかけてくれます。
 現在は、東京都が用地と復元した竪穴住居を管理しています。
 平成22年(2010)3月 練馬区教育委員会















所在地 練馬区氷川台3-14-26

真言宗豊山派 
 医王山 不動院 荘厳寺しょうごんじ 

 豊島八十八ヶ所霊場58番札所

山号   医王山 不動院
本尊   不動明王
開基   良仁和尚
      元亀年間(1570~1572)以前
宗派   真言宗豊山派
総本山  長谷寺 (奈良県桜井市初瀬)
祖師   宗祖  弘法大師(空海)
      中興祖 興教大師(覚鑁)
      派祖  専誉僧正
開宗   真言宗は、その源を遠くインドに発し、平安時代の初め、弘法大師が中国(当時の唐)におもむいて、これをもたらされ、日本に確立されました。
教え   遍く、広く、ものの存在を肯定する曼荼羅思想や、すべての人間にやどる仏性の光明を見つめる即身成仏思想をもとに、世のため人のためにお報いしようという「四恩酬答」の教えが基本です。
霊場   弘法大師・豊島八十八ヶ所霊場 第五十八番
お経   般若理趣経・般若心経などのほか、仏教音楽といわれる声明(節のついたお経)もお唱えします。
境内   密教の要素をたたえた光明真言の塔、宝篋印塔など














 荘厳寺は、医王山不動院といい、真言宗豊山派(豊島八十八ヶ所第五十六番札所)のお寺で本尊は不動明王です。新編武蔵風土記稿に開山・良仁が天正2年(1574)に没したとありますのでそれ以前の創建と思われます。
 寺の記録によるとこの寺はもと古義真言宗安祥寺流(江戸湯島霊雲寺・元禄4年〔1691〕創建)の法流を受けた寺で、本堂に無量寿仏(阿弥陀如来)が安置されておりますが、先頃その胎内から古文書が発見されました。この文書は寛文10年(1670)多数の檀信徒の発心と協力で新たにこの無量寿仏を造立するということを時の住職雪峻叟が誌したものです。
 この他、薬師如来や真言宗の本尊である大日如来、宝暦13年(1763)と記した再建時の柱の一部、又寺の付近に安置されていたという六臂の弁財天座像などがこの寺の古さを物語っています。
 以前この付近の寺院に両檀家制があって、この寺が光伝寺の男寺となり、又駒込長源寺の女寺と言われた時がありますが、男、女が別の寺院の過去帳に載せられ、弔われていたものです。
 昭和57年(1982)3月 練馬区教育委員会

 荘厳寺には『光明真言塔』、『童女観音』、『宝篋印塔』、『淺見平藏翁祈念碑』があります。


所在地 練馬区氷川台3-14-26 (荘厳寺)

 光明真言塔
 この塔は、当寺第10代玉智上人が住職の折り、寛延元年(1748)11月1日に、当地に住んでいた人たち175人によって立てられたものです。
 上部に書いてある梵字は、光明真言で
■■
と読みます。この真言のいみは、あらまし次のようなことです。

おん        心をこめてお祈りします
あぼきゃ     この世のみち溢れている
べいろしゃのう  すばらしい命の輝きよ
まかぼだら     限りない、その働きよ
まに        智慧を表わす宝の珠と
はんどま      慈悲を表わす蓮の花との
じんばら      救いの光明を
はらばりたや   さしのべて下さい
うん        どうぞお願いします。
 光明真言は、大日如来の真言とも、一切諸仏の総呪とも言われ、人間の罪を消滅し、病まいを除き、智慧と長寿と福徳をもたらす功徳が、古くから熱心に信仰されて来ました。
 この塔には、その光明真言を一億へんお唱えした記念に建立するということばが刻まれています。一人あたり実に五十七万ぺんも唱えたことになります。昔の人の信仰心の深さが偲ばれることです。
 時代は変っても、人の世の真実は一つです。どうか皆さまも、身心に吉祥の光を頂ける功徳を固く信じ、心をこめて光明真言をお唱え下さるようおすすめいたします。  合掌
 平成元年(1989)夏 医王山第25代住職 塚田晃信 


所在地 練馬区氷川台3-14-26 (荘厳寺)

 童女観音
 この石像は、練馬農協主催四国八十八ヶ所弘法大師霊場巡拝が10回に達したのを記念して、同農協より寄進された冥加料をもとに建立されました。詩人坂村真民さんの題字「念ずれば花ひらく」を刻んだ碑は、日本・海外を含め、これが第七十五番になります。坂村さんも、石彫の馬越さんも四国愛媛にお住まいのかたです。これも、お大師さまのありがたい御縁によるものと感謝いたします。この童女観音のほほえいを仰いで、一人でも多くのかたが、「念ずれば花ひらく」の心に目ざめ、合わせて弘法大師のお徳にまなんで下さいますよう衷心より念願いたします。
 昭和62年(1987)3月 医王山荘厳寺


所在地 練馬区氷川台3-14-26 (荘厳寺)

 宝篋印塔
 宝篋印陀羅尼経を納めた供養塔を宝篋印塔といいます。鎌倉時代中期以後関西に、ついで関東に多く造立されました。関東型は反花座のつくのが特長です。
 この塔は、江戸時代の中期、正徳5年(1715)に、当寺総8代住職■■法印によって建立されたものです。四面に刻まれた四仏の梵字は

■(キリク  阿弥陀如来  西)
■(アク  不空成仏如来  北)
■(ウン  阿■如来  東)
■(タラク  宝生如来  南)
と示され、基壇に彫られた漢文は、次のように読めます。

一切如来心秘密然心舎利宝篋印陀羅尼経に云く
一切如来、此経典に於いて、其の威力を加えて誠実の言を以て、不■に加持す
若し有情有りて、能く此の塔に於いて、一香一華もて礼拝供養せば、八十■■の生死に重ぬる罪、一時に消滅し、生にしては災炴を免れ死しては仏家に生ぜん
若し應に阿鼻地獄に堕せん有らんに、若し此塔に於いて或いは一たび礼拝し或いは一たび右に遶らば、地獄の門を塞ぎ菩提の路を開かん
塔及び形像所在之処は、一切如来の神力護る所なれば、其の処、防風雷電霹霹■の害する所とならず、毒蛇蚖蝮毒虫毒獣の傷つくる所とならず、獅子狂象虎狼野千■■之傷害する所とならず、又薬叉・羅刹・部多那・毘舎遮・■■■■・■■之怖無し亦復た、一切寒熱の諸病、癧瘻・癰痘・瘡疣・疥癩の染むる所とならず
若し人暫くなりとも是の塔を見れば、能く一切の災難を除かん 云々
時に
 正徳 乙羊 龍集(龍集は年の意)
  十有一月穀旦(穀旦は吉日の意)
      講中
東武豊嶋郡 下練府湿化味邑
不動院医王山 荘厳寺現寓
        祐厳末弟  
            周厳
 災難をまぬかれ、安全でありますよう、私たちも、昔の人の心をしのびつつ、この塔にまごころこめて合掌礼拝いたしましょう。
 昭和63年(1988)春  荘厳寺





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