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東京都練馬区の歴史
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所在地 練馬区豊玉南2-15-5 (氷川神社)

     ビール麦・金子ゴールデン発祥の地碑
 ビール麦「金子ゴールデン」は明治33年(1900)、篤農家金子丑五郎によって東京市北豊島郡中新井村の当地で育成されました。翁は、江戸末期の文久元年(1861)10月20日に生れ、優れた先見性と旺盛な研究心、地道な努力を積み重ね、米麦をはじめ野菜の品種改良にも情熱を傾け、近郷農家の経営安定に大きく貢献しました。特に国産ビールの需要拡大を予見し、輸入品種と国産種の自然荒廃から「金子ゴールデン」を選抜・育成しました。つくりやすい性質から当地では「矢羽」の愛称で、昭和25年(1950)頃まで盛んに生産されていました。翁が改良した種子は、貴重な遺伝資源として「独立行政法人 農業生物資源研究所ジーンバンク」に永久保存されています。
 練馬区豊玉が生んだ翁の功績を地域文化として伝承し、都市農業の振興のため、平成15年(2003)翁を慕う農民等が相集い、栽培の復活に取り組みました。努力の甲斐あって、多くの人々が喜びを共有して国産ビール黎明期の味を楽しんだことを、翁の功績と共に後世に伝えるため、碑を建立します。
 平成18年(2006)10月吉日 金子ゴールデン記念碑建立実行委員会

 

     ビール麦の金子ゴールデン
 わが国のビール麦栽培は外国から導入された品種によって始められました。
 最初に導入されたのは江戸時代末期といわれていますが、本格的に導入されたのは明治に入ってからで、政府が勧業の一策として諸外国から穀類の種子を導入し、試作を進めました。
 当時、輸入された中には大麦も多く、明治20年(1887)にはゴールデンメロン(米国)の名が記録されています。
 北豊島郡中新井村(現在の練馬区豊玉)の金子丑五郎が明治33年(1900)、六条大麦の四国とゴールデンメロンの自然交雑によって生じた雑種の中から「金子ゴールデン」を育成しました。
 早生で草丈が低いため成熟しても倒れにくく、一時、関東一円に栽培が広がりました。この品種を親にエビス1号、ニューゴールデン、アズマゴールデン、ふじ二条等の優良品種が育成され、初期のわが国のビール醸造に大きく貢献しました。
 平成9年度JA東京グループ
 農業共同組合法施行50周年記念事業
 東京あおば農業協同組合

    THE AGRICULTURE OF EDO &TOKYO
             Malt barley,Kaneko Golden
 Cultivation of malt barley in Japan started with varieties introduced from foreign countries.The active introduction was made since 1868 associated with the government policies of industry promotion in which various seeds of cereals were importanted and tested for use.
 In 1900,Ushigoro Kneko of Toyotama,Nerima ward bred Kneko Golden from the natural hybrids between six-rowed barley Shikoku and Golden Melon.It was a superior type of early ripening,short stem and hardy to toppling at the stage of maturity.Its cultivation at one time extended throughout Tokyo district and contributed greatly toward the beer brewery in Japan.
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