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東京都練馬区の歴史
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所在地 練馬区錦2-4-28 (金乗院)

 金乗院の大イチョウ 平成24年(2012)1月登録
 本堂前に生育する高さ18m、目通り幹囲5m(区内最大)、3代将軍家光のお手植えと伝えられているイチョウです。
 平成24年(2012)3月 練馬区教育委員会

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所在地 練馬区錦2-4-28 (金乗院)

 金乗院御朱印状 平成9年(1997)3月登録 平成14年(2002)2月指定
 慶安2年(1649)の3代将軍家光から万延元年(1860)の14代家茂まで、代替わりごとに将軍が寺領十八石九斗余を安堵した朱印状9点です。(非公開)
 平成24年(2012)3月 練馬区教育委員会



所在地 練馬区氷川台3-14-26

真言宗豊山派 
 医王山 不動院 荘厳寺しょうごんじ 

 豊島八十八ヶ所霊場58番札所

山号   医王山 不動院
本尊   不動明王
開基   良仁和尚
      元亀年間(1570~1572)以前
宗派   真言宗豊山派
総本山  長谷寺 (奈良県桜井市初瀬)
祖師   宗祖  弘法大師(空海)
      中興祖 興教大師(覚鑁)
      派祖  専誉僧正
開宗   真言宗は、その源を遠くインドに発し、平安時代の初め、弘法大師が中国(当時の唐)におもむいて、これをもたらされ、日本に確立されました。
教え   遍く、広く、ものの存在を肯定する曼荼羅思想や、すべての人間にやどる仏性の光明を見つめる即身成仏思想をもとに、世のため人のためにお報いしようという「四恩酬答」の教えが基本です。
霊場   弘法大師・豊島八十八ヶ所霊場 第五十八番
お経   般若理趣経・般若心経などのほか、仏教音楽といわれる声明(節のついたお経)もお唱えします。
境内   密教の要素をたたえた光明真言の塔、宝篋印塔など














 荘厳寺は、医王山不動院といい、真言宗豊山派(豊島八十八ヶ所第五十六番札所)のお寺で本尊は不動明王です。新編武蔵風土記稿に開山・良仁が天正2年(1574)に没したとありますのでそれ以前の創建と思われます。
 寺の記録によるとこの寺はもと古義真言宗安祥寺流(江戸湯島霊雲寺・元禄4年〔1691〕創建)の法流を受けた寺で、本堂に無量寿仏(阿弥陀如来)が安置されておりますが、先頃その胎内から古文書が発見されました。この文書は寛文10年(1670)多数の檀信徒の発心と協力で新たにこの無量寿仏を造立するということを時の住職雪峻叟が誌したものです。
 この他、薬師如来や真言宗の本尊である大日如来、宝暦13年(1763)と記した再建時の柱の一部、又寺の付近に安置されていたという六臂の弁財天座像などがこの寺の古さを物語っています。
 以前この付近の寺院に両檀家制があって、この寺が光伝寺の男寺となり、又駒込長源寺の女寺と言われた時がありますが、男、女が別の寺院の過去帳に載せられ、弔われていたものです。
 昭和57年(1982)3月 練馬区教育委員会

 荘厳寺には『光明真言塔』、『童女観音』、『宝篋印塔』、『淺見平藏翁祈念碑』があります。


所在地 練馬区氷川台3-14-26 (荘厳寺)

 光明真言塔
 この塔は、当寺第10代玉智上人が住職の折り、寛延元年(1748)11月1日に、当地に住んでいた人たち175人によって立てられたものです。
 上部に書いてある梵字は、光明真言で
■■
と読みます。この真言のいみは、あらまし次のようなことです。

おん        心をこめてお祈りします
あぼきゃ     この世のみち溢れている
べいろしゃのう  すばらしい命の輝きよ
まかぼだら     限りない、その働きよ
まに        智慧を表わす宝の珠と
はんどま      慈悲を表わす蓮の花との
じんばら      救いの光明を
はらばりたや   さしのべて下さい
うん        どうぞお願いします。
 光明真言は、大日如来の真言とも、一切諸仏の総呪とも言われ、人間の罪を消滅し、病まいを除き、智慧と長寿と福徳をもたらす功徳が、古くから熱心に信仰されて来ました。
 この塔には、その光明真言を一億へんお唱えした記念に建立するということばが刻まれています。一人あたり実に五十七万ぺんも唱えたことになります。昔の人の信仰心の深さが偲ばれることです。
 時代は変っても、人の世の真実は一つです。どうか皆さまも、身心に吉祥の光を頂ける功徳を固く信じ、心をこめて光明真言をお唱え下さるようおすすめいたします。  合掌
 平成元年(1989)夏 医王山第25代住職 塚田晃信 


所在地 練馬区氷川台3-14-26 (荘厳寺)

 童女観音
 この石像は、練馬農協主催四国八十八ヶ所弘法大師霊場巡拝が10回に達したのを記念して、同農協より寄進された冥加料をもとに建立されました。詩人坂村真民さんの題字「念ずれば花ひらく」を刻んだ碑は、日本・海外を含め、これが第七十五番になります。坂村さんも、石彫の馬越さんも四国愛媛にお住まいのかたです。これも、お大師さまのありがたい御縁によるものと感謝いたします。この童女観音のほほえいを仰いで、一人でも多くのかたが、「念ずれば花ひらく」の心に目ざめ、合わせて弘法大師のお徳にまなんで下さいますよう衷心より念願いたします。
 昭和62年(1987)3月 医王山荘厳寺


所在地 練馬区氷川台3-14-26 (荘厳寺)

 宝篋印塔
 宝篋印陀羅尼経を納めた供養塔を宝篋印塔といいます。鎌倉時代中期以後関西に、ついで関東に多く造立されました。関東型は反花座のつくのが特長です。
 この塔は、江戸時代の中期、正徳5年(1715)に、当寺総8代住職■■法印によって建立されたものです。四面に刻まれた四仏の梵字は

■(キリク  阿弥陀如来  西)
■(アク  不空成仏如来  北)
■(ウン  阿■如来  東)
■(タラク  宝生如来  南)
と示され、基壇に彫られた漢文は、次のように読めます。

一切如来心秘密然心舎利宝篋印陀羅尼経に云く
一切如来、此経典に於いて、其の威力を加えて誠実の言を以て、不■に加持す
若し有情有りて、能く此の塔に於いて、一香一華もて礼拝供養せば、八十■■の生死に重ぬる罪、一時に消滅し、生にしては災炴を免れ死しては仏家に生ぜん
若し應に阿鼻地獄に堕せん有らんに、若し此塔に於いて或いは一たび礼拝し或いは一たび右に遶らば、地獄の門を塞ぎ菩提の路を開かん
塔及び形像所在之処は、一切如来の神力護る所なれば、其の処、防風雷電霹霹■の害する所とならず、毒蛇蚖蝮毒虫毒獣の傷つくる所とならず、獅子狂象虎狼野千■■之傷害する所とならず、又薬叉・羅刹・部多那・毘舎遮・■■■■・■■之怖無し亦復た、一切寒熱の諸病、癧瘻・癰痘・瘡疣・疥癩の染むる所とならず
若し人暫くなりとも是の塔を見れば、能く一切の災難を除かん 云々
時に
 正徳 乙羊 龍集(龍集は年の意)
  十有一月穀旦(穀旦は吉日の意)
      講中
東武豊嶋郡 下練府湿化味邑
不動院医王山 荘厳寺現寓
        祐厳末弟  
            周厳
 災難をまぬかれ、安全でありますよう、私たちも、昔の人の心をしのびつつ、この塔にまごころこめて合掌礼拝いたしましょう。
 昭和63年(1988)春  荘厳寺





所在地 練馬区北町2-38

 北町の仁王像 練馬区登録有形文化財 平成11年(1999)1月登録
 向って右、阿形像、左、吽形像。重厚な造りの像で、両像の背には「天和3年(1683)・・・奉立之施主光岳宗智・・・」の銘があり、聖観音座像建立の翌年に建てられたことが分かります。
 平成11年(1999)3月 練馬区教育委員会





 
 
 敷地内には『北町観音堂(石観音堂)』、『北町聖観音座像』があります。



所在地 練馬区北町2-38

 北町観音堂(石観音堂)
 ここには、天和2年(1682)銘の「北町聖観音座像」をはじめ馬頭観音や庚申塔など数多くの石造物があります。江戸周辺を探訪した小石川の僧が記した紀行文『遊歴雑記』にも、文化12年(1815)にここを訪れた記述があり、往来の人々の信仰や赤塚村への分岐道の目印ともなっていたことが分かります。
 平成11年(1999)3月 練馬区教育委員会




敷地内には『北町の仁王像』、『北町聖観音座像』があります。




所在地 練馬区北町2-38

 北町聖観音座像 練馬区指定有形民俗文化財 平成8年(1996)2月指定
 高さ270センチメートル、宮内最大の石仏。背には「武州河越多賀町隔夜浅草光岳宗智月参所 奉新造正観音為四恩報謝也 旹(時)天和2年(1682)8月・・・」、台座には川越街道沿いの29の地名が刻まれています。
 平成11年(1999)3月 練馬区教育委員会

 敷地内には『北町の仁王像』、『北町観音堂(石観音堂)』があります。


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